気負わず「弱さと向き合う」時間に
生き方を変えるチャンスがある
『うつ病』になった人たちは、自分の心は弱い…恥ずかしい…などと思いがちなのではないかと思います。
しかし、病気になった時こそ「自分自身と向き合い、今までの無理を改めるタイミング」なのです。
心や体に不調を感じた時、気軽に自分の中に起きている違和感を語ることができたら…
悩みや最近考えていることを、正しい・正しくないの判断なしに、ただただ聞いてくれる人がいたら…
そうしたらきっと、今よりももっと自分に素直に生きていくことができるのかもしれません。
私自身忙しい職場にいて、自分の心や身体よりも、優先すべきは日々の業務…時間…自分に目を向けている暇があったら、もっと考えること・やることがあるだろうという空気の中、自分で自分を追い込み心身共にダメになってしまった経験があります。
同僚もそうです。何人のスタッフは同じような状況になり、退職を余儀なくされてしまったか…
もしもそんな時に、自分の弱さにしっかりと寄り添ってくれるサービスを知っていたら…もっと楽に過ごせたかもしれない、退職をしなくても頑張れたスタッフがたくさんいたかもしれない…そう思うのです。
そのような中、このカウンセリングサービスはたくさんの人の心をサポートできるものではないかと、私自身希望を感じています。
自分の弱みを
誰かに話せる時間をつくりたい
自分の気持ちや弱みをきちんと誰かに話せる。
そしてそれを聞いてくれる人がいる。
これが当たり前である社会を、このカウンセリングを通じて実現したいと考えています。
私は心身共にダメになってしまった時、自分の中の感性がだんだん失われていくような感覚に陥りました。
無駄なものを削ぎ落とし、じっくり味わうとか、小さなことを感じ取るとか、そういうことを忘れて、効率的に暮らすこと・仕事をすることだけが正しいと思うようになっていました。
無駄な時間を無くして、生産的であらねばならない。
自分の気持ちを後回しにして、周りに求められる・社会に求められる自分でなくてはならない。
「何が良くて、何が悪い」
それが自分の中に増えるほどに、環境に合わせて自分を殺すような…
そんな感覚も含め、全てが麻痺していきました。
しかし、やはりそれは無理が出て当たり前の考え方だったんです。
「こうあらねばならない」という思い込み、織りのようなものに自分を合わせていくとか、強くあろうとするあまりに、自分が感じていることに鈍感になってしまうとか…いつか楽になると信じて目の前にある生活を無視してしまうとか…
その歪みに気付いて、それまでの生き方を変えられれば良いのですが、
それはなかなか難しいことですよね。
そういう時に必要なことが、自分に立ち返ることだと思うんです。
それができるのは、精神科で処方される薬ではありません。自分では気づかない思い込みや削ぎ落としてしまったものと向き合うこと。
その一つの方法が、カウンセリングです。
「こうあらねばならない」という思い込みで、自分で自分を生きづらくさせてしまう経験はとてもよく分かります。
そんな生きづらさを感じるときや何かしらの物事が上手くいっていないとき…そこには「無理」があるように思います。
強みを活かし仕組みを作る
そして必要としている人へつなげていくことが私の役目
心の病を抱えた人だけでなく、いつでも、どこでも、安心できる、どんな時にでも頼ることができる…それが私の目指すカウンセリングです。
看護師とカウンセラー、身体と精神、その両面からの経験を経て、自分で起業するという選択肢があると気づき、自分が持つリソースを考えたときにできたものが、このオンラインカウンセリングでした。
心理的にカウンセリングルームに通うのは抵抗があるという方も多いのは事実ですが、他にもいろいろな理由で利用して下さる方がいます。
●近くにカウンセラーさんがいない
●相性が合わない
●対面のカウンセリングは緊張する
●値段が高い
●時間が合わない
●忙しくて行けない
そのような制約を取り払って、相談への入り口をつくることができるのも、強みです。
たとえば近くにカウンセラーさんがいたとしても、
うつ状態にあるときには、たった一駅でも電車に乗ること自体がつらい。
家を出ることがつらいため、カウンセリングを受けに行くことそのものが難しいんですよね。
気圧の変化や天候によって体調を崩すこともあります。
こういった面をオンラインカウンセリングが全て解消してくれます。
そして「つらい」と思った、今その時、
すぐに予約ができる。相談できる。ということも、このカウンセリングの強み・魅力の一つではないかと思います。
自分に向き合う時間が必要なのは、病気の人だけではない
実際のカウンセリングでは、人間関係の悩みが多くあります。
職場・ママ友・夫婦・友人関係…悩みはたいていの場合つながっていて、仕事が上手くいかないと人間関係も悩み、体調も悪くなって…と悩む方が多くいらっしゃいます。
その他には、身近な人に悩みを話せない、自分が何をしたら良いのか分からないという相談も少なくありません。
心の不調は生き方の無理がメンタルに出た状態と捉えられます。
それぞれの個性を否定することから始まり、そこからうつ病を発症する方や病気にまでは至らなくても「生きづらさ」を抱える人が多くいます。
「心の病」になった自分と向き合う、病気になった時こそ自分の限界を知る、今までと違うやり方を探るタイミングだと思います。
病気になったこと自体が、生き方を変えるタイミングになっているんだと思うのです。
社会的な「こうあるべき」に沿って強くあろうとしなくていいんだと、「弱さを認める」ことが必要だというサインなんです。
そして、弱さを認めることが必要なのは、病気の人だけではありません。
こうなくてはならないという思い込みやイメージに囚われて、本当の自分はどうしたいのか、どう考えているのかということと、向き合えていない人は本当に多いと感じます。
日々の忙しさの中で、自分と向き合うことを後回しになってしまう人が、自分と向き合うためにはどのようにしたら良いか…
それは「語ること」です。
一人ひとりが、自分なりの『物語』を語ることが必要です。
たとえば、うつ病になった自分について語る。
病気になっていない場合も、自分の現状について語ることで自分の形ができていきます。
それは、聞く人・耳を傾ける人が増えることにつながっていくから…
ただ「聞く」といっても、正しい・正しくない、否定か認めるかという自分の軸で聞くのではなく「この人はこういう風に感じているんだ」と、その人の言葉をそのまま受け止められる聞き方が必要です。
「語る」人と「聞く」人がうまくつながることができる場が、このカウンセリングであり、その役割を果たせると思っています。
私がこの仕事をすることは、もともとあったものではなく、その時その時の出会いに引き込まれるように道を選んで、そして振り返ったらこういう物語になっていたという感じです。
この物語も、何年か経ったら変わっているのかもしれません。
それでも、今までの自分の物語を語ることは大切で、過去の出来事が今の自分にどのように影響を与えているかを言語化して振り返ったときに、その時々の自分像ができていくのだと思うのです。
外から見ると自分で選んできたように思われるかもしれませんが、それは自分が今感じていて、語っていることに過ぎません。
物語も実は多面的で、いろんな見方があると思います。
どのように語るのか、どの言葉を選ぶのかによって人それぞれの物語は違う意味合いを帯びてきます。
だからこそ、言葉を大切にしたいと思いますし、カウンセリングがそうであるように、言葉を紡ぎ出す場、自分の言葉を引き出してくれる場があると、自分の中にあるもの、想いがきちんと形になるのだなぁと思うのです。
そして、言葉にすることで現実が動き出すことにつながると思っています。
お互いに弱さを持った人同士がつながることで価値が生まれる
今、私にできることは「強くあらねば」と弱さをさらけ出せずにいる人や、自分らしさを忘れそうになっている人に、立ち止まって向き合う場を提供することだと思っています。
心の不調を抱えた人が「助けてほしい」と言えるきっかけを提供できるような場所を作れたら…。
そして、それに応えることで、新しい意味を一緒に創り上げていったり福祉や医療の別の社会資源につないだり。
その方が生きるなかで新しい動きの起点になるような…。
そんなイメージを持っています。
このカウンセリングは、出逢うべくして出逢った人が新たに創っていく世界が見えるように…
自分と向き合えて成長できる、優しさに満ちた場所。
人と人がつながることで相手を通してまっすぐ自分の生き方と向き合って、成長していけるような心のケアの在り方が、局所的にでもでき上がるように努めています。
そして、それが広がり大きな仕組みにつながっていく…。
心の不調を感じたら、当たり前に誰かに頼れるような社会になっていくことを強く願っています。
うつ病をはじめ心の病を抱える人はもちろん、日頃から悩みやすい人、自分の話をすることが苦手な人に、広く知られ活用してほしい。
そのような人はきっと「こんな話を相手にしても良いのだろうか…。大丈夫だろうか…」など、つい思いがちかもしれません。
しかし、悩みを打ち明けることは、その聞いてくれた相手の生きる価値にもつながります。
そんな側面があることも知ってもらえたらと思います。
弱さを持った人同士だからこそ、つながることで生み出せる価値がある。
自分のことを気軽に話せて、そして誰かの話に耳を傾けることができる。
そんな優しい社会。
「局所的にでも」そういった小さな社会が、周りから求められ、どんどん広がっていくことを願っています。
そして私自身、そんな優しい社会の一端を担い続けたいと思っています。